冗談のようで本当のこと。山手線でいえば、新宿の南隣の駅が代々木で、実家はそこから徒歩2分のマンション。代々木といえば、代々木ゼミナール・代々木アニメーション学院・山野美容学校が有名だが、現存する最古のマクドナルドもある。高校に入るまでは、ハンバーガーショップといえばマクドナルドだったのだが…。ところで両親は代々木駅東口で40年以上も居酒屋を経営している。40年の年季の入った、強烈にボロい店。2018年4月に惜しまれつつ、47年の営業を終了。
千葉県でも南部に属する、とても温暖な土地。小学校までは体がとても弱く、気管支ぜんそくの発作が原因で、休みがちでもあった。そのため当時渋谷区が所有していた「健康学園」なる、全寮制の施設で小学3~4年の間過ごした。同様の施設は、板橋・足立・葛飾の各区にもあったと記憶している。ちなみに肥満・虚弱体質の児童も、この施設で過ごしていて、だいたい小学3~6年の4学年で40人ぐらい一緒に過ごしただろうか。おかげでぜんそくは良化して、まあまあの体調に。
先述の通り、親が共働きで居酒屋を経営していてマセガキだった自分の世話に手を焼き始めて、しかもまあまあアタマが良かった?ために、健康学園から戻ってきた小学5年から、代々木にあった「秀優舎」という中学受験を目指す塾に通い始めた。「秀優舎」の主宰は、四谷大塚の予習シリーズの製作に携わった迫田文雄先生。直接迫田先生の迫力ある授業を受けられたのだから、とても幸運だったというべきだろう。成績もなかなかイイ線まで来て、当時の男子御三家の1つ麻布中受験を目指すことに。そこで親は何を思ったか、塾の掛け持ちをさせることに…6年の10月から「桐杏学園」の代々木校にも通い始めて、気がついたら半年ほど年末年始も関係なく、塾に通い詰めることになった。結果、麻布不合格、巣鴨不合格、すべり止めで受験した市川のみ合格という結果。当初はとても悔しかったけれども、市川に入って中学生活に慣れていくと、いきなりエンジョイをしだす無節操ぶりを発揮。